モテキに見るネットとリアルの会話について

モテキを観た。サブカル的なものはよくわからないが楽しめた。ともかくエンディングまで退屈しなかったのでいい映画だったと思う。

面白いと思ったところがいくつかあったけど、一つだけ。
ネットとリアルの会話の扱われ方について。

・基本的に、ネットでの会話は他人に見られるもの(ダイレクトメッセージでさえ)
・重要な会話はリアルで、それも一対一のときにのみなされる
・身体言語は雄弁である

あれだけTwitterが普及した世界ですら、本当の感情はそこには現れない。
愛の告白とか、怒鳴りあいとか泣き落としはリアルの場で行われる。
そのログがネット上に残ることはない。

ライフログなんてまだまだ先だなって思った。


あとワーナーマイカルシネマズはモバイルサイトがスマートフォン対応していて偉い。
https://cinema.warnermycal.com/wm/mobile_club/

イチローみたいになりたいなら

子供の頃、尊敬する人物や目標とする人物は誰かという問いが何度も出た。
そのたび適当に答えた。「イチロー」とか言ったこともあったと思う。

今あらためて考えて、「イチローになりたい」というのはものすごく大それたことを言っていたのだとわかる。

イチローになるということは、毎日すべての時間を仕事のために使うということだ。
夜中でも素振りをして仕事に備える。勤務時間という概念がそもそもない。
で、ちゃんと結果を出す。

すごいね。
彼、まだ30代らしいよ。うそーってかんじだよね。

弾み車の例え話(全文引用)

巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。直径は十メートルほど、厚さは六十センチほど、重さは二トンほどある。この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回しつづけるのが自分の仕事だと考えてみる。

必死になって押すと、弾み車が何センチか動く。動いているのかどうか、分からないほどゆっくりした回転だ。それでも押しつづけると、二時間か三時間たって、ようやく弾み車が一回転する。

押しつづける。回転が少し速くなる。力をだしつづける。ようやく二回転目が終わる。同じ方向に押しつづける。三回転、四回転、五回転、六回転。徐々に回転速度が速くなっていく。七回転、八回転。さらに押しつづける。九回転、十回転。勢いがついてくる。十一回転、十二回転。どんどん速くなる。二十回転、三十回転、五十回転、百回転。

そしてどこかで突破段階に入る。勢いが勢いを呼ぶようになり、回転がどんどん速くなる。弾み車の重さが逆に有利になる。一回転目より強い力で押しているわけではないのに、速さがどんどん増していく。どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の積み重ねによって加速度的に回転が速まっていく。一千回転、一万回転、十万回転になり、重量のある弾み車が飛ぶように回って、止めようがないほどの勢いになる。

ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」

この質問には答えようがない。意味をなさない質問なのだ。一回目の押しだろうか。二回目の押しだろうか。五十回目の押しだろうか。百回目の押しだろうか。違う。どれかひとつの押しが重要だったわけではない。重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積み重ねてきたことである。なかには強く押したときもあったかもしれないが、そのときにはどれほど強く押していても、弾み車にくわえた力の全体にくらべれば、ごくごく一部にすぎない。


『ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則』(ジェームズ・C・コリンズ著、日経BP社)

グローバル企業とロードオブザリングの共通点

会社員になって感じたことに、
「サラリーマンって思ったより個性出していいんだなあ」
というのがある。

自分のまわりを見ても、
元パチプロの営業さんがいたり、
業務中自分からは一言もしゃべらないエンジニアさんがいたり、
怪しい日本語で女性社員をナンパしまくるアジア人がいたりする。
※ちょっとデフォルメして書いてるよ

これ何かに似てるなあと思ったら、ファンタジー映画だった。
人間がいてエルフがいて、ドワーフがいてゴブリンもいて、魔法使いもいる。
ハリーポッターとか、指輪物語とかの、ああいう感じ。

自分はなんか会社って個性を消して働くところなのかと思ってたけど、
けっこうキャラクター全開でいってる人が多くて、
いろいろクセのある人がそれぞれの得意技を発揮して補いあいながら働いてるのを見ると
なんかこういうのいいかもなー、なんて感じたりしたのでした。

「歴史上の人物」になる人を生で見るということ

トーマス・アルバ・エジソンは1847年に生まれ、1931年まで生きた。
ライト兄弟が世界初の有人飛行に成功したのは1903年のことだった。

両方とも、自分にとっては歴史上の人物だ。

しかし、そうでない人もいる。

国内最高齢の長谷川チヨノさんが20日、入所している佐賀県基山町の介護老人保健施設「あおぞら」で、114歳の誕生日を迎えた。
(〜)
長谷川さんは1896(明治29)年生まれ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/465392/

1896年生まれということは、
チヨさんが7歳のとき…世が世なら小学2年生くらいのころ、
世界に初めて飛行機が生まれたということになる。
エジソンなんかもバリバリ現役で活動してたわけだ。

ちょっと想像がつかない世界だなあ。

その後の世界にすさまじい影響を与える大発明が
どんどん出てくる時代に生きるというのはどんな気分なのだろう。

人類ってすごい! すげえや! と思うのだろうか。
それとも、ふーん、なんか知らないけどすごいらしいねーという感じなのだろうか。
よくわからない。

もしかして我々も、
アラン・ケイとかティム・バーナーズ=リーとか
スティーブ・ジョブズと一緒の時代に生きてたなんて
じいちゃんってすげーな!」
とか言われる日が来るのだろうか?

「○○以外に配信」がほしい

ネット上に何かをポストするとき考えること。
「○○以外に配信」があるととても便利。

というのも、
そもそも、"発言の公開範囲を限定したい"と
我々が思うのはどんなときだろうか。

「これは会社の同僚にだけ見せたいな」とか
「これは高校時代の友人にしかわからないネタだな」とか?
うーん、ぶっちゃけ、こういうシチュエーションってあんまりないと思う。

それよりも、
「大学生活のスナップ写真をを浪人生のあいつに見せびらかすのは気が引けるな…」
「ハゲの話題はあいつにはタブーだったな…」
「このタイミングでこの文章をポストすると、流れ的に前のやつをdisっているように見えてしまうな…」
みたいなパターンが多いんじゃないだろうか。

つまりは、基本的には「全公開」でかまわないのだが、
少数の見せたくない相手の顔が脳裏にちらつく
という具合である。

そういうときのために、NGユーザー以外に公開、という形で
セグメントできたらいいのになあといつも思う。

Google+の「サークルに配信」では脳汁が出ないのである

Google+はすごく便利なツールだ。これはまじで思う。
とはいえいまいちハマり込まないのはなんでだろう?

ひとつ思うのは、「サークル配信」はエキサイティングじゃないのかな、ということ。

サークル配信は、自分がサークルに入れた人以外には
発言が見られないようにするにする機能だ。
セキュリティ上は安全だが、
サークル以外の人が自分の発言を読んでくれる可能性も
同時になくなってしまうということでもある。

これがイヤなんだろうな。

思うに、アメブロであれ、Twitterであれ、
ネットに何かを書きまくる人というのは、基本的に承認欲求が強い。
他人に見止められて、認められたい人なわけだ。

そんな人にとっていちばん気分がいいのは
「おもしろい!」「すごい!」「あなた天才ですね!」
「○○さんは神童じゃ!」「神童じゃぞぉぉ!!」
という外野からの賞賛だろう。

それも、

「なんか友達と普通にしゃべってただけなんだけど、
知らない人に「すごく面白いね」って言われちゃってさぁ〜
ほんとに普通にしゃべってただけなのに困っちゃうよな〜w」

みないな「図らずも評価されてしまった」パターンが大好物ときている。

これはもう、野次馬がいなければ成り立たない。

要は男友達と話しているけど実は女子をチラ見ししている男子中学生(もしくはその逆)
のような状態なわけで、冷静に見て非常にみっともないのだが、
まあ人間なんてだれしもこんなもんだよなー
なんてことを思いましたとさ。