弾み車の例え話(全文引用)

巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。直径は十メートルほど、厚さは六十センチほど、重さは二トンほどある。この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回しつづけるのが自分の仕事だと考えてみる。

必死になって押すと、弾み車が何センチか動く。動いているのかどうか、分からないほどゆっくりした回転だ。それでも押しつづけると、二時間か三時間たって、ようやく弾み車が一回転する。

押しつづける。回転が少し速くなる。力をだしつづける。ようやく二回転目が終わる。同じ方向に押しつづける。三回転、四回転、五回転、六回転。徐々に回転速度が速くなっていく。七回転、八回転。さらに押しつづける。九回転、十回転。勢いがついてくる。十一回転、十二回転。どんどん速くなる。二十回転、三十回転、五十回転、百回転。

そしてどこかで突破段階に入る。勢いが勢いを呼ぶようになり、回転がどんどん速くなる。弾み車の重さが逆に有利になる。一回転目より強い力で押しているわけではないのに、速さがどんどん増していく。どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の積み重ねによって加速度的に回転が速まっていく。一千回転、一万回転、十万回転になり、重量のある弾み車が飛ぶように回って、止めようがないほどの勢いになる。

ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」

この質問には答えようがない。意味をなさない質問なのだ。一回目の押しだろうか。二回目の押しだろうか。五十回目の押しだろうか。百回目の押しだろうか。違う。どれかひとつの押しが重要だったわけではない。重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積み重ねてきたことである。なかには強く押したときもあったかもしれないが、そのときにはどれほど強く押していても、弾み車にくわえた力の全体にくらべれば、ごくごく一部にすぎない。


『ビジョナリーカンパニー② 飛躍の法則』(ジェームズ・C・コリンズ著、日経BP社)